歩くだけ

どうでもいいこと9割です

私がおならをしても、それは私のせいではないと強く主張したい。

今でこそ好き嫌いなく何でも食べるようになりましたが、子供の頃は好き嫌いが多くて、ご多分に漏れず野菜が大嫌いでした。野菜は概ね何でも苦手でしたが、特に、香りの強い野菜、例えば春菊とかセロリとか、ダメでしたね。家ではそういった野菜が大人だろうと子供だろうと関係なく食卓に上るので、家での食事は毎度々々苦痛でした。

そんなんだから、小学校に上がって、給食がとてもおいしく感じられたものです。野菜が入っていないわけではないけれども、子供でも食べやすいように工夫してありますよね。ものすごくたくさん食べるものだから、家庭訪問の時には担任の教師から、家で十分に食べさせていないのではないかと言われてしまいました。母は大変なショックを受けて、恥ずかしさのあまり、私に給食おかわり禁止令を出したものです。

担任が変われば変わったで、今度はたくさん食べる私を面白がって、何でもかんでも押し付けるような人もいました。誰かが休むと、その分の牛乳やパンは、いつでも担任が嬉しそうに私のところに持ってきました。風邪が流行ったときなどは、私の机は牛乳で埋め尽くされてしまったものです。

話が逸れました。

たぶん、凡その家庭では、天ぷらってご馳走ですよね。

私は、どうしても、天ぷらと言うと、エビ、イカ、アナゴ、キス、といった魚介類を思い浮かべます。妄想です。あくまで私の切ない願望です。

私が子供の頃の我が家の天ぷらは、野菜ばかりでした。大皿にありとあらゆる野菜が天ぷらになって、てんこ盛りで食卓に上がりました。これは私にとっては拷問でした。毎日々々、今日の晩ごはんが天ぷらでありませんようにと祈っていました。

エビやイカが全く出なかったというわけではありません。しかし、私の子供の頃は、我が家は大家族だったのです。父、母、祖父、父の妹3人、父の弟1人、そして兄と妹と私の合計10人。エビやイカが人数分用意されることなどほぼなかった。私はもちろんヒエラルキーの最下層にいたわけですが、その中でも、長男と末っ子の女の子というのは特別扱いです。つまり、私はヒエラルキーの最下層の中でも、一番下の序列にいたわけです。エビやイカといった、限られた「ご馳走」が私にまわってくるはずもありません。仮に母が譲ってくれたとしても、私のところにたどり着く前に、エビは無残にも尻尾だけになってしまうというものです。

しかたないので、私は大皿の中から、食べられそうなものだけを拾って食べました。茄子はぎりぎり食べられました。ピーマンは意外に大丈夫でした。中でも、比較的抵抗なかったのは「いも」でした。さつまいも。

茄子やピーマンは、私が食べなくても大人たちがパクパク食べていましたが、一方で、さつまいもの天ぷらだけは、大人たちはあまり食べませんでした。ヒエラルキー最下層の私でも、食べたいだけ食べることができました。

さつまいもは口の中の水分を奪うので、天つゆにべちょべちょに浸して、ごはんと一緒にかきこんでいました。食べるのに抵抗が無いというだけで、決して好きだから食べていたわけではないのです。特にふてくされた時にはさつまいもだけを食べるという暴挙まで犯してしまいました。

そういうことをしているとどうなるか。

いつの間にか、我が家では、私がさつまいもの天ぷらが大好き、というのが定番になってしまいました。

天ぷらの時は、頼みもしないのに、私の前には別皿でさつまいもの天ぷらが盛られるようになりました。

さらに、エビやイカが十分にあっても、私にはさつまいもてんこ盛りです。もう、涙目でした。悲しくて涙目なのに、どうやら周りは嬉しくて泣いているのだと思っていたのかも知れません。誰一人として、私の苦しみを理解してくれる人はいませんでした。

人間の染みついた感覚というのは恐ろしいものでして、いくら私がいもは決して好きじゃないと言っても、エビが好き、イカが好きと言っても、受け入れてもらえることはありませんでした。そういった、悲しい少年時代を過ごしたものです。今となっては、懐かしい思い出です……

 

で、終わらないのが辛いところ。

今でも、私の子供の頃を知っている人と一緒に、天ぷらを食べるような機会があると、

「〇〇ちゃん(←私のこと)、おいも好きでしょう?」

と言って、さつまいもの天ぷらを勧めてきます。取り皿にとって渡されてしまうこともあります。あー、辛い。やだやだ。

食事というものは、食べたいものを食べたいだけ食べる、憧れます(笑)。そういう意味では、一人で食べるのって、全く嫌じゃないです。むしろ歓迎します。

エビやアナゴの天ぷらを、思う存分食べてみたい... あ、さつまいもも少しなら食べたいです。

 

ありがとうございました。

 

今週のお題「いも」でした。